最後の本を閉じる日
AI時代、本はどこへ向かうのか
2026年10月19日 · Joo-Ho Lee
プロローグ:最後の三十二巻
1768年、スコットランドのエディンバラで『ブリタニカ百科事典』の最初の分冊が刊行された。それから240年あまり、ブリタニカという名は、ほとんど「世界のあらゆる知識」と同じ意味を持っていた。金文字の背表紙が並ぶ全集を居間の本棚に迎えることは、その家が知識を大切にしているというしるしでもあった。
2012年3月、ブリタニカは紙の百科事典全集の刊行を終えると発表した。2010年版、全三十二巻が最後の印刷版となった。重さだけでも60キログラム近くあった知識の城が、本棚から画面へと移ったのである。ウィキペディアの開設から11年後のことだった。
ブリタニカそのものが消えたわけではない。編集と執筆はオンラインで続いた。むしろ、知識が紙を離れることで、より多くの人に届くようになった例ともいえる。当時、辞書や百科事典はもともと「調べるための本」なのだから、検索にその座を譲るのは当然だと受け止められた。小説や教科書、学術書は別の道を歩むと、私たちは信じていた。
私は、その境界もそう長くは持ちこたえないと思っている。ただ、私が案じている「本」は、紙を束ねた物だけではない。一人の人が長い時間をかけて考え、文章に残し、別の誰かがその思考を最後までたどってみる。その営みの形である。電子書籍を読んでも、画面に長い文章を書いても、それは続けられる。
けれども、知識を手に入れることがますます便利になる一方で、知識を生み出して残す人と、それを深く読む人が、ともに減っていったらどうなるだろう。この文章は、そんな未来を先回りして描いてみる試みである。結末が決まっているわけではない。それでも、便利さに慣れきってしまう前に、一度は見ておきたい風景だと思う。
1. 自分だけのための教科書
そう遠くない未来の、ある大学一年生を想像してみよう。彼は熱力学の授業を受けているが、分厚い教科書は買わない。代わりにAIに尋ねる。「孤立系のエントロピーが減らないのはなぜ? 高校の確率までしか知らない僕にもわかるように説明して」。AIは、先週彼がつまずいた概念を覚えていて、好きなサッカーの話を例に挙げ、理解できたかを確かめる問題を出す。間違えれば、別の角度から説明し直す。夜中の二時でも、同じ質問を十回繰り返しても、疲れることはない。
これは、教育学が長く抱いてきた夢でもある。1984年、教育心理学者のベンジャミン・ブルームは、一対一の個別指導の効果を示す研究を紹介した。その研究では、個別指導を受けた平均的な生徒の成績が、通常の授業を受けた生徒の約98%を上回っていた。もちろん、あらゆる状況で同じ効果が得られるという意味ではない。重要なのは、一人ひとりに合わせて教えることで生まれる違いだった。すべての学生に個人教師をつけることはできない。その長年の制約のなかで、教科書は一人の専門家の知識を数千、数万人に届ける役割を果たしてきた。
教科書はその役割を見事に果たしてきたが、一冊の本がすべての読者に合うはずはない。すでに知っている人には退屈で、まだ知らない人には難しい。変化の速い分野では、改訂版を待つ間にも新しい研究が積み重なる。よく設計されたAIチューターなら、読者に合わせて説明を変え、最新の資料を探して結びつけることで、こうした限界を和らげられる。ただし、資料が新しいからといって、説明まで正しいとは限らない。何を選び、どう教えるかは、なお検証しなければならない。
すでに興味深い実験もある。2023年秋にハーバード大学の物理学の授業で行われ、2025年に発表された研究では、教育上の原理を取り入れて設計したAIチューターで学んだ学生が、同じ内容をアクティブ・ラーニング形式の授業で学んだ学生より、短い時間で大きな学習成果を上げた。世界銀行が2024年にナイジェリアで実施した放課後プログラムでも、AIチューターと教師の指導を組み合わせて学んだ生徒の英語力が、六週間で明確に向上した。教科書や教師が不要になった証拠ではない。しかし、学生が学ぶ道筋は変わりうると示している。
では、専門書はどうなるのだろう。初めのうちは、AIが教科書を「読んで」説明してくれる補助道具として使われるだろう。やがて一部の学生は、教科書を飛ばしてAIに直接尋ねるようになるかもしれない。専門家にとっても、何年もかけて本を書くより、論文や講義資料を残し、説明はAIに任せるほうが楽になるかもしれない。そうして、改訂版が出なくなる専門書もあるだろう。
しかし教科書は、質問に答える以上の仕事をしている。何を先に学び、何を後で学ぶかを決め、読者がまだ問い方さえ知らない問題を目の前に置く。すでに自分が気になっていることだけに答えを得る学びは、この役割まで引き受けられるだろうか。失われるかもしれないのは一冊の本ではなく、一つの分野を初めから終わりまでつなぎ合わせようとする努力なのかもしれない。

2. 論文の洪水、そして干ばつ
いま学術の世界は、洪水のただなかにある。米国立科学財団の集計によれば、2022年の一年間だけで、世界で約330万本の科学・工学論文が発表された。一日あたり9,000本を超える。広がり続ける自分の分野の論文を、すべて読み切れる研究者はいないだろう。
私が身を置くロボティクスの分野でも、この変化ははっきりしている。代表的な国際会議であるICRAには、2026年に5,088本の論文が投稿された。私が運営準備に関わっているICRA 2027には、8,000本を超える論文が寄せられている。前年の公式発表と、準備の過程で私が把握している今回の数字を比べると、一年で約57%以上増えた計算になる。私は、この急増には近年のAIの性能向上も大きく寄与しているのではないかと推測している。AIそのものが新たな研究課題を生み出すうえ、実装や分析、論文執筆の負担も軽くするからだ。もちろん、投稿数だけからAIがどれほど貢献したかを見分けることはできない。
AIが学術的な文章を書く際に広く使われている形跡もある。ドイツのテュービンゲン大学のドミトリー・コバクらは、医学文献データベースPubMedに収録された抄録の語彙の変化を分析した。研究チームは、2024年の抄録の少なくとも13.5%、およそ七本に一本が、大規模言語モデルの助けを借りて書かれたと推定した。「delve(掘り下げる)」など、特定の単語の使用が急に増えたことが手がかりだった。これは文章作成を補助した痕跡であって、その研究が虚偽だという意味ではない。
ただし、文章を簡単に生み出せるようになれば、誠実な研究を伝えるだけでなく、質の低い原稿を作ることも容易になる。研究者はより多くの論文を読まなければならず、査読者はより多くの主張から信頼できるものを選ばなければならない。生み出す速さに、確かめる速さが追いつかないという問題が起こる。
この洪水は、いつか別の姿をとるかもしれない。小さな実験結果や繰り返しの多い分析は、長い論文ではなく、データベースやコード、短い研究記録として共有されるようになるかもしれない。それは知識が消えるということではない。記録の形式が変わるのである。論文もまた、結果を伝える手紙であると同時に、どのような方法を用い、誰がその主張に責任を持つのかを残す仕組みだ。その役割まで不要になるわけではない。
私が心配する干ばつは、論文の数が減ることから生まれるのではない。結果をまとめる作業が容易になるほど、長い時間を要し、成功の保証もない問いは、相対的に後回しにされかねない。原稿が増え続ける一方で、本当に新しい問題に長く向き合い、格闘する研究は減っていくかもしれない。洪水のなかでも、そんな干ばつは起こりうる。
3. 試す前から答えがわかる世界
1928年、英国の細菌学者アレクサンダー・フレミングは、ブドウ球菌を培養していたシャーレに奇妙な様子を見つけた。カビが生え、その周囲には細菌が育っていなかった。ペニシリン発見の出発点である。科学の歴史には、こうした場面が少なくない。予想外の結果、失敗した実験、思わぬところに現れたおかしな数値が、新しい世界への扉になった。偶然も大切だったが、その奇妙さを捨て置かずに見つめた人がいたことも、同じくらい大切だった。
いま科学では、実際に試す前に結果を予測できる範囲が急速に広がっている。AlphaFoldは、タンパク質のアミノ酸配列から立体構造を予測する能力を大きく高め、その後、約二億個のタンパク質構造の予測が公開された。2023年、Google DeepMindのGNoMEは220万の新しい結晶構造を予測し、そのうち約38万を計算上安定した候補として示した。同年、米ローレンス・バークレー国立研究所の自律実験室「A-Lab」は、ロボットが材料を混ぜ、焼き、分析し、17日間で41の新しい化合物を合成したと発表した。新規性や分析の妥当性をめぐる異論も出たが、AIとロボットが実際に実験を行い、その結果に応じて次の試みを変えていく方向は注目に値する。
こうした道具は、人間が見渡しきれなかった可能性を素早く探らせてくれる。低い枝に実った果実を、より速く収穫できるようになるわけだ。だからといって、すぐに果実がすべてなくなるとはいえない。一つの発見が、それまで見えなかった枝を明らかにすることもあるからだ。
ただ、同じ成果を得るために、より多くの努力が必要になっている兆しは、AI以前からあった。スタンフォード大学のニコラス・ブルームらは2020年、半導体チップの集積度を二年ごとに倍増させるために必要な研究人員が、1970年代初頭の18倍以上になったという分析を発表した。2023年に『Nature』に掲載されたマイケル・パークらの研究も、論文と特許の引用関係を分析し、従来の研究の流れを変える性質の研究が占める割合は低下したと報告した。ただし、そうした研究の絶対数はおおむね維持されていた。大きな発見が消えている証拠というより、研究量の増加が、それに見合う転換につながっているのかを問う結果といえる。
AIがこの流れをどう変えるかは、まだわからない。シミュレーションには、与えた法則や仮定による限界があるが、実際の実験は予想を外れる結果をもたらすことがある。AIによってより多くの実験が可能になれば、思いがけない発見も、むしろ増えるかもしれない。
私が懸念しているのは、道具の限界より、それを使う私たちの習慣である。予測しやすい問題ばかりを選び、予想と違う結果をノイズとして片づけ、計算が難しいという理由で問いを手放してはいないだろうか。容易な成果を素早く出すやり方に、研究の評価や報酬まで合わせてしまえば、高い枝に手を伸ばす長い挑戦は居場所を失いやすい。予測する力が高まるほど、予測の外に目を向ける営みの価値を、意識して守らなければならない。

4. 作家になることが難しい時代
2023年2月20日、米国のSF誌『クラークスワールド』は投稿の受け付けを停止した。その月、人間が書いたとみられる投稿作が約700本だったのに対し、機械が書いたと判断された原稿が500本に達したからだ。皮肉にも、この雑誌のマスコットはロボットである。同誌は対応を見直し、3月12日に受け付けを再開した。文学への扉が永久に閉じられた出来事ではない。それでも、その扉を開けておくための仕事が、突然どれほど増えうるかを示した。
問題は、AIがよい小説を書けるかどうかだけではない。読んで選べる量をはるかに超える原稿が押し寄せれば、まず足りなくなるのは編集者の時間と読者の注意力だ。そんなとき、人はすでに知っている名前を頼りにしやすい。有名作家の名前が、無数の文章から何を読むかを選ぶ目印になる。
けれども、有名な作家もみな、かつては無名だった。雑誌に短編を投稿し、公募に応募し、小さな出版社から初めての本を出して、少しずつ名前を知られるようになった。その入り口が、受け止めきれないほどの原稿でふさがれたら、編集者は新しい声を見つける余裕を失う。新たな流通経路が開かれる可能性もあるだろう。しかし、誰もが簡単に文章を世に出せることは、誰もが読者に出会えることと同じではない。
読者に出会えても、生計はまた別の問題だ。英国の著作権管理団体ALCSが委託した2022年の調査では、執筆を主な職業とする作家の、文章を書くことで得た年収の中央値は約7,000ポンドだった。総所得ではなく、執筆による所得である。物価を考慮すると、2006年の調査から約60%減っていた。作家として食べていくことは、AI以前からすでに難しかった。そこに低コストで大量生産される文章が加われば、少なくとも一部の領域では、人間が書く文章の対価がさらに押し下げられかねない。
人間の書いた文章を求める読者は残るだろう。人の経験やまなざしが宿っているからこそ、かえって大切にされるかもしれない。しかし、その価値を認めることと、次の世代の作家が長く書き続けられる条件を整えることは、別の仕事である。すでに名を得た作家の本だけが売れ、初めての本を書く人が持ちこたえられない文学は、表からは豊かに見えても、内側では少しずつ干上がっていくかもしれない。
5. 本を読まない世代
2025年、米フロリダ大学と英国のユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの研究者たちは、23万6,000人を超える米国人のデータを含む「米国時間使用調査」を分析した。一日のうちに楽しみのために何かを読む人の割合は、2004年の約28%から2023年の約16%へと下がっていた。約40%の減少である。この調査の余暇の読書には、紙の本だけでなく電子書籍やオーディオブックなども含まれる。
その時間はどこへ行ったのだろう。研究者たちは原因を断定していない。デジタルメディアの成長だけでなく、経済的な圧迫、余暇時間の減少、本や図書館へのアクセスの格差も、考えられる説明として挙げている。ただ、短い動画や要約が読書の時間と競い合っていることは、私たちも日々の暮らしで感じる。15秒の動画は、一ページ読むよりも早く笑いや驚きを届けてくれる。三分の要約動画は、300ページの本のあらすじを教えてくれる。
あらすじを知ることと、一冊の本を読み進める経験は同じではない。前の文を覚えながら次の文を読み、すぐには理解できない箇所にとどまり、気に入らない主張も最後まで聞いてみる。そうした時間が本のなかにはある。その時間を使わなくなるほど、長い文章を読むことは、難しく、なじみのない行為になっていくだろう。子どもたちにも、本を読みなさいと言うのと同じくらい、読む時間と場所を用意することが大切なのだと思う。
助言を得る方法も変わっている。人は自己啓発書に、知識だけでなく「いまの自分に必要な言葉」を求める。ところが今は、私の状況を尋ね、事情に耳を傾け、私に合わせたような助言を返してくれるAIがいる。2025年にオンライン上の利用事例を分析したある報告書も、相談や情緒的な支えを主な用途に挙げた。利用者全体の利用頻度を代表する調査ではないが、人々がAIを単なる検索窓以上のものとして扱っている一場面は見えてくる。
大勢の読者に向けて書かれた本より、自分一人に答えてくれるAIのほうが身近に感じられることもあるだろう。そこが魅力であり、同時に気がかりでもある。自分が好みそうな説明ばかり受け取っていたら、未知の考えに出会い、その違和感に耐えながら読む経験は、減っていかないだろうか。
本がすぐに消えるとは思っていない。ただ、AIが今よりはるかに賢くなり、暮らしの隅々にまで浸透した世界で育つ人たちにとって、長い文章を読むことは、今とは違う位置を占めるかもしれない。本は残っていても、本を通して考える力を育てる習慣は、一部の人の好みに狭まってしまうかもしれない。
6. 学ぶものがなくなるAI
ここまでくると、こんな反論もありそうだ。人間が本を読むことや書くことを減らして、何がいけないのか。AIが代わりに知識を整理し、新たな発見までしてくれればよいではないか。十分にありうる反論である。ただ、いまのAIが何を土台に育ってきたのかは、振り返っておく必要がある。本や論文、新聞、インターネットの掲示板に人々が残した記録が、その大切な基盤だった。
プログラマーが互いに質問し、答えてきたStack Overflowは、その基盤がどう変わりうるかを示している。公開された質問と回答が蓄積したこのサイトは、AIがコーディングを学ぶ資料としても使われた。ある分析によれば、ChatGPTが登場した2022年11月には約10万8,000件あった月間の新規質問数が、二年後には約四分の一になった。減少はそれ以前から始まっていたため、すべてをAIのせいにはできない。それでも、公開の場で交わされていた質問がAIとの私的な対話へ移れば、ほかの人が探して読める記録が積み重なりにくくなる点は、考えてみる価値がある。
新しいプログラミング言語は、公式ドキュメントやコード、実行結果からも学べる。一つの質問サイトの衰退が、そのままAIの学習停止を意味するわけではない。しかし、実際の利用者がどこでつまずき、どんな説明で理解したのかという記録には、公式ドキュメントとは違う価値がある。そうした多様な経験が、公開された知識へと戻っていく道が、細くなるかもしれない。
その空白をAIの生成した文章で埋めることにも注意が必要だ。2024年に『Nature』に発表された研究では、モデルが生成したデータを無差別に次世代の学習へと戻す過程で、まれで独特な内容が失われ、出力の質が崩れていく現象が見られた。研究者たちは、これを「モデル崩壊」と呼んだ。すべての合成データが有害という意味ではない。元の資料を保ち、生成結果を検証し、現実の観察を加える方法とは区別しなければならない。
研究機関Epoch AIは2024年の研究で、当時の拡大傾向が続けば、2026年から2032年の間に、学習に利用できる公開された人間の文章を、ほぼ使い尽くす可能性があると推定した。それは、文章がなくなる時期でも、AIの進歩が終わる時期でもない。公開された文章をさらに集めるだけでは、性能を伸ばしにくくなるかもしれないという見通しだ。実験や観察、検証済みの合成データなど、ほかの学びの道は開かれたままである。
それでも、人間が残す記録の多様さは、簡単に置き換えられるのだろうか。私は疑問に思う。まだ名前のない不便さ、その時代を生きた人の感覚、効率とは無縁の好奇心。そういうものが記録には宿っている。AIが実験を通して新しい物質を知ることと、人間がどんな人生を送り、どんな問いを抱くのかを知ることは、同じ問題ではない。
ここで、焚書坑儒という古い出来事を思い出す。『史記』によれば、秦の始皇帝の時代、民間のさまざまな書物を焼くよう命令が下され、官の博士たちが管理する書物は例外とされた。事件の細部や、その後の知識の喪失をめぐっては議論がある。それでも、誰が本を持ち、読めるのかを、権力が制限しようとした場面は、長く記憶に残る。
今日のAIを、その時代にそのまま重ねることはできない。AIはいくつもあり、図書館やインターネットの記録も残っている。ただ、知識に出会う道が少数のサービスに絞られ、利用者が原文を探して読んだり、互いに記録を残したりすることをやめてしまう状況には、警戒が必要だ。本を無理に奪われなくても、便利さゆえに、自ら読むこと、書くことを手放してしまうかもしれないからである。
これこそ、この文章で最も伝えたい逆説だ。人間がAIに答えを求めるだけになり、新たな問いや記録を生み出すことを減らせば、AIが頼る知識の土台も弱くなりうる。答えは手に入りやすくなるのに、次の答えを生む問いは、かえって少なくなっていくのである。

7. 停滞の風景
技術の進歩は、あらゆる方向へ続くわけではない。今日の旅客機は数十年前よりはるかに安全で効率的になっているかもしれないが、巡航速度だけを見れば、それほど速くなっていない。速さ一つで航空技術全体の停滞を語ることはできない。それでも、進歩の見慣れた一方向が、長く足を止めることはある。その事実は、考えるきっかけになる。
では、知識の世界にも、似たことが起きた姿を描いてみよう。AIにできることは増え続けるのに、私たちが問うことの幅は狭くなっていく世界である。
その世界は、一見とても快適だ。気になることは何でも、AIがすぐに答えてくれる。病気は早期に発見され、物は安く、画面には面白い動画が際限なく流れる。なじみのある問題を解く腕前は、日ごとに上がっていく。
しかし、長く向き合わなければならない問いは、何度も後回しになる。今すぐ役に立つと説明できない研究、どれほど読者がいるかわからない本、誰もが当然と思うことを疑う思考には、時間が与えられにくい。AIにそうした問いを作れないから、というだけではない。誰かがその問いを大切だと思い、実際に確かめ、結果を批判し、次の人に残さなければならないからだ。
長い文章を読み、ほかの人の思考をたどる習慣が弱まり、新たに書き残す人たちが続けていくことも難しくなれば、その役割を担う人は減るかもしれない。答えはあふれているのに、その答えを吟味し、新たな道を選ぶ力は弱くなっていく。
誰も、それを危機だと感じないかもしれない。毎日は相変わらず快適で、画面は相変わらず輝いているのだから。停滞は、轟音とともにやってくるのではない。私たちが何を問わなくなったのか、それさえ気づかないうちに、訪れることがある。

エピローグ:最後の本を閉じる前に
ブリタニカが最後の印刷版を刊行した2010年、その三十二巻が最後になると知っていた人は多くなかった。「最後」はたいてい、それと知られずに過ぎていく。もしかすると、私たちがいま読んでいる本のなかにも、その分野の最後の一冊として残るものがあるのかもしれない。
ここに描いた未来は、予言ではなく、一つの可能性である。そして私は、その可能性が現実にならないことを願っている。予想が外れるよう願いながら書くのは、起こる前に気づき、別の道を探したいからだ。
AIは驚くべき道具だ。私だけのために説明を作り、多くの実験を助け、夜中の二時にも話を聞いてくれる。その道具を拒もうと言いたいのではない。ただ、その道具を取り巻く知識の世界にも、目を配りたいのである。初めて問いを投げかける人、失敗した実験をもう一度見直す人、考えを最後まで押し進めて書く人、その文章を読み、反論する人が、これからもいなければならない。
だから、明日の進歩を守る方法は、案外ささやかなところから始まるのかもしれない。長い文章を最後まで読むこと。不器用でも自分の考えを書き残すこと。AIが出した答えに、もう一度問いを返すこと。ときには、計算が示す道とは違う場所へ、あえて足を踏み入れてみること。フレミングがシャーレを捨てずに、もう一度のぞき込んだように。そして、そうした営みを長く続ける人が持ちこたえられるよう、研究と執筆の居場所を残しておくこと。
最後の本を閉じる日は、いつか来るのかもしれない。それでも、その日を少しでも先に延ばすことは、今日、もう一ページめくるところから始まる。
資料・参考リンク
ハーバード:AIチューター · ICRA 2026:投稿統計 · Kobak:学術執筆とAI · Parkほか:研究の転換性 · ALCS:作家の所得 · UCL:読書の減少 · Stack Overflow:質問の減少 · Nature:モデル崩壊 · Epoch AI:学習データ
ICRA 2027の数字は、筆者が運営準備の過程で把握した現況であり、公開されたICRA 2026の統計とは区別している。
